2009年4月27日月曜日

「正直」である前に「真摯」であれ ~ 草彅君の謝罪会見で感じたこと

真摯(しんし)であることと、正直(しょうじき)であること。この二つは似ているようで、与える印象はかなり違うものです。先日の草彅君の謝罪会見のおかげで、「正直」と「真摯」の違いに関する例をいくつか思い出すことができたので、ここに挙げてみます。

以下は、温暖化ガスによる環境問題で、ガソリンの代わりに、バイオ燃料と言われるエタノールを使うことのデメリットを紹介したThe Economistの記事:(一応リンクは張ってありますが、原文はThe Economistの購読者しか読めないようです。すみません)
And when Henry Ford was experimenting with car engines a century ago, he tried ethanol out as a fuel. But he rejected it—and for good reason. The amount of heat you get from burning a litre of ethanol is a third less than that from a litre of petrol. What is more, it absorbs water from the atmosphere. Unless it is mixed with some other fuel, such as petrol, the result is corrosion that can wreck an engine's seals in a couple of years. (Henry Fordが一世紀ほど前に、エタノールを燃料として使ってみようとしたが、この案は却下されることになった。これにはちゃんとした理由があって、エタノールを燃やしたときの熱量はガソリンの3分の1以下にしかならず、さらに空気中から水分を吸収してしまうので、他の燃料、たとえばガソリンなどと混ぜない限りエンジンのコーティングを数年で腐食させてしまうからだ。) - Ethanol, schmethanol. The Economist, Sep 27th 2007.

この記事を読んで僕は、トウモロコシなどから取れるエタノールなどのバイオ燃料は、騒がれている割に実際はだめなのかと、しばらく思いこんでいたのですが、ブラジル出身の人から聞いた話だと、ブラジルではエタノール燃料の方がむしろ主流で、ほとんどの車がエタノール燃料で動いているし、エンジンの痛みも別にガソリンと変わらないとのこと。この話を聞いて、僕としてはなんだかThe Economistに騙された気分になったのですが、その後、同誌の読者からの意見のページ(Letters)で、以下のようなコメントを見つけました。

It would also do more to encourage the use of vehicles with flexible-fuel engines to provide American consumers with something they do not have: a real choice. In Brazil 80% of new vehicles run on ethanol, petrol or a mixture of both. There is no special tax rebate for these cars: we buy them because we want to. ((もしアメリカがエネルギー問題を真剣に考えているなら)アメリカの消費者が持っていない多燃料対応の車(これは実際の選択肢として存在する)を使わせるようにするべきだ。ブラジルでは80%の新車が、エタノール、ガソリン、またはその両方を混ぜたもので動くし、そういった車に対して税金の払い戻しなどもない。皆、必要だから買うのだ。)- From Letters, The Economist. Oct 11th 2007

これは明らかに記者の認識不足を指摘した意見なのですが、それにも関わらず、そのような記事をきちんと紹介している姿勢に、The Economist誌の「真摯」さを感じることができました。「間違いを指摘した意見は載せたくない」とか、「あの記事には間違いが含まれておりました。大変申し訳ありません」という対応が、「正直」な気持ちをそのまま表現したものだと思いますが、読者としては、そのような「正直」な姿を見たところで得るものは少ないです。

もう一つの例。大学のとある卒業審査のための発表会での話。
(先生)「その研究は、既存のツールを使いまわしただけじゃないのか?」

(学生)「(しばらく悩んで)…、はい。そうです。」
これも、「正直」の例。正直なのは結構だけれど、審査する先生方もおそらくその「正直さ」を求めているわけでありません。例えば、「使った技術は既存のものの組み合わせだけれど、それでもこの問題に取り組むことは大事なんだ」と言えるだけの、研究に対する「真摯」な姿勢。それを見せる方がきまって良い印象になります。


そして、草彅君の謝罪会見。「また楽しいお酒が飲めるようになりたい」と言うような「正直」さが好感を得ている、という報道もありましたが、それよりも、彼が慎重に言葉を選んでいる姿、自分の置かれている状況や、自分の行為、言葉が世間に与える影響などを真剣に考えている。そんな様子を容易に見てとることができたので、ただ正直に謝るではなく、真摯に向かうその姿勢こそが大事なんだということがよくわかりました。自分の犯した罪に真剣に向き合う。ただ愚直に発言を撤回するのとは質の違う「真摯さ」。

僕自身も「正直」である前に「真摯」でありたい。そう思います。


(追記)
「草彅(なぎ)」君の漢字を、「草薙」と書き間違えていたので修正しました。まさか、こんな形で、このエントリに書かれていることを実践することになるとは。。。id:poccopenさんに感謝。

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